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オンドゥーラス好きが展開する気ままな話題


by HONDURAS1
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ハワイ旅行とパールハーバー

女房の還暦を記念して、11/24~27ハワイのヒルトンにのんびり滞在してきました。

・・・・・真珠湾攻撃は、中国と東南アジア地域征服をめぐって悪化していた日米関係を最悪のものとしました。1931年日本陸軍の過激派が(日本)政府の方策を無視して、満州の・・・・中略・・・・その後ヨーロッパでの戦争が始まり、日本はナチ・ドイツと手を組みました。アメリカは日中戦争を解決するために日本に外交的及び経済的圧力をかけました。日本政府はそうした処置ーー特に日本への油の輸出禁止ーーを考案し、両国は国家威信の失墜なしには手を引くことができない立場に立たされました。・・・・・

 以上は、USSアリゾナ記念館と言う名の、いわゆる日本の真珠湾攻撃メモリアルのパンフレットの記述の一部である。・・・( )及び太字下線部分は筆者注。・・・正直言って驚きました。アメリカと言えば、本国では毎年の8月6日にはエノラゲイの原爆投下ショーにみられるように、日本の国民感情を逆撫でして意に介さないチョー保守主義が幅を利かしているお国柄。さぞかしジャップ憎しのトーンでちりばめられた展示を想像していました。
 ところが、案に相違して以上のような穏やかなと言うより、当時の日本のせっぱ詰まった国家事情にこれほどまで理解を示した解説は以外でした。それどころか、自ら(当時のアメリカ)が日本へ圧力をかけたと言う事実を認め、それが真珠湾攻撃を招いた重要なファクターの一つであることすら認めている。小生が選んだパンフレットは日本語表記で当然日本人向けであるから、他の言語表記がどうなっていたか、語学音痴の小生は知る由もない。しかし、パンフレットに(国立公園課、合衆国内務省)とあるように、米国の責任在る官庁の公認の元に書かれたものが言語が違ったからといって主張・記述の内容が変わっているとは考えにくい。

 日本人として、先の大戦にそこそこ関心を持つ者としてはおしなべて公平な記述に見える。しみじみ、本当の意味で大東亜戦争に負けたと思った。仮に日本の横須賀あたりが奇襲を受けて大戦が始まり、日本が戦いで勝っていたら、このような(当時のアメリカの置かれた立場を)冷静に、度量と公平を持って記述したメモリアルを建設をできるかどうか。いろいろいわれるがこういった歴史認識を示し公開することができる米国という国家は大人だと思った。
 一方、日本の西隣の大国の国を挙げての(日本への)憎悪をあおるような国家姿勢とは雲泥の差を感じ、かの国の国家としての未成熟ぶりが際だった。かの国が、日本憎しの国家的キャンペーンを張る背景には、そうしなければ自らの政権のよって立つ正当性を維持できず、矛盾に満ちた国家戦略を国民の目から隠しきれない脆弱性故の証左であると言えよう。両国の国家としての成熟度の差は少なくとも半世紀。日本はその中間というところか。

 もちろん、この記念館ができた第二次世界大戦直後の展示や記述が、最初からこのように日本に理解有る展示や解説であったとは思えない。そこには戦後60年、日米双方をめぐる様々な紆余曲折ーーーーー日米安保、日本の経済的成功、東西冷戦構造とその崩壊、リアリズムに徹したアメリカのしたたかな外交という名の損得勘定、さらにはハワイやカリフォルニアをはじめとする日系社会の抗議やロビー活動等々ーーーーーがその時々の友好&反発と様々なアンビバレンツを抱えながらも、日米同盟という絆がそれなりに寄与したと言うことなのだろうか!?
 ともあれ、あれほど死力を尽くして戦った国同士の一方が相手国をここまで理解してくれたことに、アメリカを含め人類のこれからにまんざらでもない希望を見た思いがした。願わくば、イラクと米国との間にもこのような未来がくることを願うのみ。
by HONDURAS1 | 2005-12-13 10:43 | El Camino a Satiago