歴史散歩
2006年 10月 03日
面白いものを見つけた。と言っても先日我が家の八王子の有線TVの番組でやっていたことの後追いなのだが。小生住まいの貧乏長屋は都営住宅の南数百mのところに南浅川が流れている。くだんの番組でその傍らに昭和30年代まで動いていたという京王多摩御料線の橋脚が残っているとのこと。その昔多摩御料線というのが走っていたらしいことは、一再ながら聞いていたが路線は「この辺りを通っていたらしい」ぐらいにしか聞いていなかった。しかも、小生地べたを走っていた・・・と言うより勝手に路面電車のようなものと想像していたので新鮮な驚き・・・のかと思ったら高架だったようだ。少なくとも長房近辺は。
小生が八王子に来た昭和44年には、すでに面影はなかった。そして先の番組から見当をつけた辺りに、本日10/03夕刻、買い物のついでに探してみた。
あっけないほど簡単にほぼ見当をつけた地点にその二本の橋脚はどっしり立っていた。我が都営住宅4階の玄関から、下駄履きで正味10分も掛かっていなかっただろう。画面のブロック製の門柱と門灯からも分かるようにかなり大きい。高さ5~6m、横幅10m、橋脚の厚み2m弱と言うところか。民家の中庭に二本とも立っている。と言うよりあとから建てた民家が、片づけるのも費用がかかるのでそのまま立っているという感じ。20年余のタクシー時代、何度もこの辺を営業で通っていたはずなのだが、言われてみるまであまりにも風景にとけ込んでいて全く気が付かなかった。日暮れの所為もあり、黒々とした頑丈なコンクリートの肌はおそらく一世紀近い歴史の重みと風格を感じさせた。
多摩御料線というのは京王線の支線で京王北野駅から山田方面を通っていて、もちろん、天皇家だけではなく一般も利用できたらしい。どういう経緯でなくなったか・・・おそらく採算難というところが真相だろうが・・・不明だが、我が家から歩いて数分のところにこんなものが残っているなんて面白い。できればその辺のところを探ってみたい気もする。先日亡くなった吉村昭氏なら、この辺からヒントを得て一作品をものにするかも知れないのだが。
先の芝居の映像もそうだが、どうも携帯の映像が、いつの間にかかなり大きめの設定になっていた見たい。このブログにはちょっと大きすぎる。次回からはもうワンサイズ落として撮してみよう。このブログ作成時にサイズダウンできればいいのだが、今のところ方法が分からない。わざわざ映像ソフトを開くほどでもないし・・・。
小生が八王子に来た昭和44年には、すでに面影はなかった。そして先の番組から見当をつけた辺りに、本日10/03夕刻、買い物のついでに探してみた。
あっけないほど簡単にほぼ見当をつけた地点にその二本の橋脚はどっしり立っていた。我が都営住宅4階の玄関から、下駄履きで正味10分も掛かっていなかっただろう。画面のブロック製の門柱と門灯からも分かるようにかなり大きい。高さ5~6m、横幅10m、橋脚の厚み2m弱と言うところか。民家の中庭に二本とも立っている。と言うよりあとから建てた民家が、片づけるのも費用がかかるのでそのまま立っているという感じ。20年余のタクシー時代、何度もこの辺を営業で通っていたはずなのだが、言われてみるまであまりにも風景にとけ込んでいて全く気が付かなかった。日暮れの所為もあり、黒々とした頑丈なコンクリートの肌はおそらく一世紀近い歴史の重みと風格を感じさせた。
多摩御料線というのは京王線の支線で京王北野駅から山田方面を通っていて、もちろん、天皇家だけではなく一般も利用できたらしい。どういう経緯でなくなったか・・・おそらく採算難というところが真相だろうが・・・不明だが、我が家から歩いて数分のところにこんなものが残っているなんて面白い。できればその辺のところを探ってみたい気もする。先日亡くなった吉村昭氏なら、この辺からヒントを得て一作品をものにするかも知れないのだが。
先の芝居の映像もそうだが、どうも携帯の映像が、いつの間にかかなり大きめの設定になっていた見たい。このブログにはちょっと大きすぎる。次回からはもうワンサイズ落として撮してみよう。このブログ作成時にサイズダウンできればいいのだが、今のところ方法が分からない。わざわざ映像ソフトを開くほどでもないし・・・。
by HONDURAS1
| 2006-10-03 17:56
| 徒然日記