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オンドゥーラス好きが展開する気ままな話題


by HONDURAS1
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死の選択

martes,30 de junio.Hace mal tiempo.
ある新聞のコラムが安楽死・尊厳死・・・「死ぬ権利」の法がドイツ議会にて可決と報じていた。
我々日本と日本人もそろそろこの問題と真剣に向き合わなければならない。

コラム氏は・・・「重病患者の過度の延命処置は、本人の苦痛はもとより家族にも経済的精神的に大きな負担を強いる。そして、膨大な医療費の国庫負担は国家財政を揺るがしかねないのだ」と言う。その通りだと思う。

所詮、生あるものはいつか死を迎える。この当然の摂理に真の意味で前向きに取り組まない限り人類の未来はない。目前の命の尊さの声の大きさに、全ての打算(敢えて打算と言いたい)を封印して、ひたすら生かし続けることこそ正義だとする思いこみはせめて21世紀前半で終わりにしたい。

意味ある生を、本人も周囲も、社会も納得したなら、意味ある死をも認める勇気を持つべきである。それでないと、人類はその限りある資源を哀れみの代償にのみ浪費という愚を犯しかねない。また、地球も日本も、地域の村落も、人類にのみその資源を無限に提供しうるものではない。当然限りがある。何となれば、そのキャパシティーに見合った生存数しか許されないと心得るべきである。

その意味で深沢七郎の「楢山節考」は、極めて深遠な警鐘だったように思う。いつかどこかで、自分の親(それが私だとしても)を山に捨てに行くという、不条理を受け入れる決断をしない限り人類という種は絶滅する。そしてもちろん、絶滅というのも選択の一つである。
人類が、他の幾百万種に優越して永遠に生き続けると思うこと自体傲慢である。それが天の配剤定めなら潔く自身の滅亡受け入れるべきである。この宇宙数百億年の寿命から見て、高々数百万年の人類の生など所詮流れの泡沫(うたかた)のごときもの、方丈記を省みるまでもない。
明日間にあわ~な iHasta mañana!
by HONDURAS1 | 2009-06-30 09:37 | 徒然日記